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──簡潔な中にも感謝の気持ちを込めて
 
 葬儀・告別式の締め括りで行われるのが喪主(あるいは親族代表)挨拶です。

 まず、典型的な例をあげましょう。
 
(例1)
 
 本日は、お忙しいところを、○○の葬儀にご会葬くださいまして、誠にありがとうございます。
 このように大勢の方々にお見送りいただきさぞかし故人も喜んでおることと存じます。
 遺された私どもは未熟者ではございますが、今後とも故人同様、ご指導、ご鞭撻賜りますようお願いいたしまして、ご挨拶に代えさせていただきます。

(例2)
 
 遺族を代表し、一言ご挨拶を申し上げます。
 本日は、ご多忙のところ、遠路ご会葬いただき、厚く御礼を申し上げます。
 生前、故人に寄せられた皆様のご厚情に対し、心より御礼申し上げます。
 私どもは、未熟ではありますが、故人の教えを守り、精進していく所存です。皆様方には、故人と同様お付き合いいただき、ご指導いただけますことをお願い申し上げます。
 本日はありがとうございました。
 
 この2つは典型ですが、実際には、家族の目から見た人となりや、エピソードが挟まれるケースが多くあります。例2を使って展開してみましょう。

(例3)
 
 遺族を代表し、一言ご挨拶を申し上げます。  
 本日は、ご多忙のところ、遠路ご会葬いただき、厚く御礼を申し上げます。
 
 父は、「仕事一筋」の人間で、したがって趣味もとりたててもたず、家にいるときはいつも所在なげでボンヤリしておりました。母や私ども子供が何を言っても笑ってフンフンと頷いてばかりでしたが、他人の悪口を言おうものなら、突然に大声で怒ったものです。
 「他人の悪口を言う前に自分に悪いところがないか反省しろ」というのが口癖でした。今もそのときの怒った様子が目に浮かびます。
 仕事場でも偏屈なところがあり、ご迷惑をおかけしたこともあるのではないかと心配しております。この際、お許しを賜りたくお願い申し上げます。
 
 このような父に対して、生前寄せられました皆様のご厚情に対し、心より御礼申し上げます。私どもは、未熟ではありますが、故人の教えを守り、精進していく所存です。皆様方には、故人と同様お付き合いいただき、ご指導いただけますことをお願い申し上げます。
 本日はありがとうございました。
 
 平凡ではあるが、まっすぐなところのある父親の姿と、それを愛している子供の心情が伝わってくる感じがします。

 次の例は、長年苦労を共にされた妻の挨拶です。
 
(例4)
 
 本日は、雨の中にもかかわらず、夫栄蔵のためにご会葬賜り、ありがとうございました。
 
 私どもが連れ添いまして42年になります。おかげさまで娘二人も成人し、孫も5人恵まれました。恵まれた人生であったと感謝しております。「お父さんありがとう」と言ってあげたいと思います。
 これも、ここにお集まりの皆様に支えられてのことと心より御礼申し上げます。
 
 30年前のことが昨日のように思い出されます。サラリーマンだった夫が家に帰るなり突然「会社辞めてきた」と言うのです。長女が小学1年のとき、下の娘は4歳です。もうビックリしました。でも、夫の固い意思が目から読み取れ、思わず黙ってしまいました。
 翌日からが戦争でした。夫は背広を作業服に着替えて仕入れに、販売にととびまわりました。帳簿づけは深夜、二人で算盤を入れました。
 「苦労なさったでしょう」と聞かれるのですが、そんなことはありません。夫の帰りを待っているだけの生活から、二人で力を合わせる生活は、お金は不足しておりましたが、充実したものでした。
 
 夫は幸せ者だと思います。人生を走りきり、こうして、皆様に暖かく見守られ旅立つことができるのですから。
 本日はありがとうございました。
 
 悲しいことは事実でしょうが、充実した人生を走りきった夫を想い、その悲しみを乗り越えようとする心情が表現されていると思います。この例のように、必ずしも典型にこだわる必要はないのです。

 次の例は、亡くなった方の最期の様子を報告することを参列者に報告する形をとったものです。

(例5)
 
 本日は、お忙しい中を割いて、母スエの葬儀にご参列賜りありがとうございました。
 
 母は長い入院生活を送っておりましたが、病院の先生方の暖かいご配慮で、最期は1週間だけでしたが、自宅に戻ることができました。狭い家ですが、私ども家族の中でやすらいでおりました。
 自分が育てた庭の花を見られるのが、何よりも本人の希望でした。
 意識をなくしましたのは亡くなる2日前のことです。静かに眠りにつきました。痛みもなく安らかでした。
 自然をこよなく愛した母でしたが、静かに自然にとけ込むような、母らしい最期でした。
 たくさんの方々からお見舞いの申し出をいただきましたが、勝手を通してお断りしましたことをお詫び申し上げます。皆様のご厚情はその都度母には伝えておりました。母も慰められた様子でした。
 
 母に生前賜りました皆様の暖かいお気持ちを心より感謝申し上げます。私も1男1女の母ですが、母のような人に愛され、自然に愛された一生を送れたらと思っております。
 本日は誠にありがとうございました。
 
 友人などのお見舞いを断られ、母親の静かな療養生活を優先された娘さんが、代わりに最期の様子を報告された例です。暖かく最期を看取った様子、心情が表現されており、会葬者も何かホッとした気持ちになったことと思います。

 悲しさを直接的にぶつける例もあります。取り乱したくなる気持ちをあまり抑えすぎる必要もありません。

(例6)
 
 一言ご挨拶申し上げます。
 
 主人の死はあまりに突然でした。柩を閉じた今でも信じられない気持ちです。朝は元気で会社に出て行ったのに会社で倒れるとは。病院に駆けつけたとき、ベッドの上の白い布の下に覆われた顔が主人のものであるなどとは信じられませんでした。
 会社の方には本当によくしていただきました。今は今後のことといっても考えられる状態ではございません。しばらく静かにしてからと思っております。
 今でも元気だった主人の顔が前にあります。冗談であってくれたらと思います。こんなだらしがない妻や子供を置いて行ってしまうなんてひどい人だと思います。
 
 皆様のお支えをお願いいたします。きょうはありがとうございました。
 
 挨拶の立派さからいえば問題があるかもしれません。でも、こうした悲嘆が死というものがもたらす事実であるとするなら、こうした悲しみをぶつけるのも自然なものです。突然死した夫に対する切実な妻の愛情が溢れています。

 こうした悲嘆の中にある遺族、まだ若い遺族に代わって親族が代理で挨拶する例もあります。
 
(例7)
 
 故人の叔父の山村寿夫でございます。いまだ遺族が取り乱しておりますので、代わってご挨拶を申し上げます。
 
 甥の孝次は38歳でございました。これからが人生の華を開かせるときでした。運悪く、ガンに冒され、短い一生を閉じることになりました。
 
 会社の同僚の方にうかがいますと、ありがたいことに、皆様に愛されておったようでございます。短い一生で、本人も心残りだろうとは思いますが、皆様によくしていただいた充実した一生であったと思っております。昨日から同僚の皆様方には献身的によくしていただき感謝しております。
 故人の家族は3名、子供は中学2年の恵子、小学5年の和也の二人です。まだまだ親の手が必要な年齢です。私ども親戚もバックアップしてやりたいと思っております。皆様方におかれましても、どうか遺族の相談にのっていただいたり、支えていただければ幸いに存じます。
 
 本日は、会社の皆様、お友達の皆様、ご近所の皆様、お忙しいところを会葬いただきありがとうございました。
 
 叔父の立場では、一歩距離をおいて配慮した挨拶ができる例です。

 喪主とは、昔は後継者がなるものとされていました。そこで、後継ぎの息子が行った喪主挨拶の例です。ちなみに社葬で行われたものです。
 
(例8)
 
 皆様、師走のお忙しいところを、故山川健一の株式会社宝明社葬にご参列を賜り、厚く御礼を申し上げます。
 
 故人は、若くして30歳で独立、宝明社を設立いたしました。皆様のご支援の賜物で、おかげさまで昨年40周年を迎えることができました。昨年の9月5日、この体育館で創立40周年を祝わせていただいたのですが、それには故人も車椅子を使ってではありますが、元気に顔を出し、本日ご参列賜った皆様と談笑することができました。
 その日、家に帰りまして、故人はその日の出来事を一つ一つ数え上げては、ここまで会社を大きくしていただいた皆様方への感謝の想いをいつまでも語っておりました。
 故人に対して生前賜りましたご厚誼に対し、厚く御礼を申し上げます。
 
 故人の息子ですので、父と言わせていただきますが、父は仕入れ先の方、代理店の方、そして会社の一人一人と一緒に仕事をさせていただいているのだということを常々語っておりました。この父の教えを守るのが私の使命であると思っております。
 私はまだ若く、父の杖なくしてやっていけるか不安でいっぱいですが、諸先輩方、おつきあいいただいている会社の方々のお力添えをいただいて、精一杯の努力をしたいと思っております。ご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
 
 本日は、こんなに多数の方々に暖かく送っていただき、故人もさぞかし嬉しく思い、いつもの口癖で「感謝、感謝」と言っていることでしょう。
 本日は誠にありがとうございました。
 
 偉大な父親像がさりげなく語られ、また、その父の仕事を継いでいく息子の使命感と静かな決意というものが滲み出た喪主挨拶であると思います。

 喪主挨拶とは、悲しみの中にある遺族にとってはたいへんなものです。ですから短くてよいのです。故人のことを想って参列された人への感謝の気持ちを込めて、自らの言葉で想いを伝えることが重要であると思います。上手に話そう、立派な表現を使おうとは思わないことです。



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